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春光台の歩み
春光台をとりまく環境
道道旭川幌加内線を鷹栖町北野方面からの緩やかな坂道を登りきり、
2条通の交差点に至ると、大雪山連峰とその裾野に広大な市街地が視界に広がります。 この市街地が広がる平野が上川盆地で、「春光台」はその西の外れと思われがちですが、 春光台から見下ろせる鷹栖町に広がる平野も上川盆地の一部なのです。 あたかも盆地を2分するかのような細長い地形の「近文台」 長さ約8.5キロ、最大幅約2.1キロ、海抜120〜170メートル。 周辺沖積平野との比高は30〜40メートルで、全体的に東側が急傾斜を呈し、 西側は緩斜面となっています。 |
土地がら
近文台全体の構成は、重粘土層ととなっています。乾燥すると硬くなり、水を含むと軟泥状になる特徴があります。
そのうえ土が痩せているため農耕地としては不適な土地がらにあります。
春光台の開拓者は、この重粘土と生い茂る竹藪の中に入植し、開拓が進められてきました。 |
気候
冬は寒冷で降雪量は多く、夏は高温になります。気温の日較差と年較差が大きくなっています。
市街地に比べて春光台は降雪量が多く、気温も低くなります。降雪量が多いのは、
冬の季節風が西風であるため、西方ほど降雪量が増えているのです。
夏は、市街地に比べ心地よく凌ぎやすい夏が過ごせます。 |
地名の由来
旭岡から東鷹栖まで連なる通称「近文台」と呼ばれる台地の一部が、「春光台」、「高台」と呼ばれています。
近文台は、アイヌ語に由来します。「近文」は、チカプニ[鳥−来る−ところ]という語源から来ています。
1887(明治25)年の上川郡内殖民地選定調査で対象になった地域のうち、石狩川右岸から近文台の間を
チカプニ原野と名付けて、49万坪を選定区画しました。
以降、この地域に「近文」の地名を与えてそう呼ぶようになったのです。 |
春光台は、旭川住居表示課所蔵資料「旭川市街全図」(明治36年作成)に春光台の表記がみられ、
このころより、通称で春光台と呼ばれていたと思われます。しかし、この通称は主として旭川側からの通称で、
鷹栖側からは「高台」と呼ばれいたようです。 |
和が家の生い立ち
そんな春光台の開拓者の一人として、私の先代がこの地に入植しました。
開拓期から今日に至るまで、この春光台と、数多くの方々にお世話になって参りました。
そんなこの地で、感謝の思いを込めて、「恩返しがしたい」と切に願い、
グループホーム和が家が誕生しました。地域と共に歩むグループホームでありたい。 春光台には、のんびり、ゆったりできる“我が家”があります。 |
年表
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